主将

2日、大学選手権準決勝・早明戦。記者会見、アフターマッチファンクションと主将としての最後の仕事を終え、
記者に囲まれた佐藤真吾主将が改めて振り返ります。

「4年になったらあっという間。年々短くなっていくよ。…という人も居ましたけど、僕は4年の時が一番長かった
ですね。いろんなプレッシャーもあったので。でも、この1年間、4年になってキャプテンになって、人としても
成長できたかなと思っています。」

東京・本郷高校からワセダへ。入部当時はアカクロの重み、クラブの重みも分からずに入ったと話し、
「最後Cチームくらいで終わるのかなと思っていた。」と振り返ります。本人の入部時の想像とは異なり、攻守に
粘り強いプレーで2年生に入ると頭角を現し、ポジション争い激戦区のバックローでレギュラーに定着。
そして最終学年、「僕らの代にそういうキャラクターがいなかったから」と本人は控えめに話しながらも、
創部100周年のメモリアルイヤーに主将に就任します。

「(下級生時代)個人にベクトルを向けることをずっとしていて、周りにベクトルを向けるということは全く
してこなかった。」

と話しながらも、佐藤真吾主将が春先から大切にしてきたのはチームとしての一体感。下のチームも含めて一つの
チームを作りたいと、外勤(寮に入れないメンバー)のとりまとめ役である4年生辺津勘太選手を学生幹部の役職で
ある委員に指名、更には練習前には4年生同士で集まって議論を重ねるなど対話を重視、自身がケガで離脱している
期間はウォーターボーイを務めて、チームを支えます。

「練習中も、練習終わった後も色々な人とコミュニケーションを取って『今日の練習どうだった?』とか。感じ方
によって、次はこうしようとか、(SH齋藤)直人とか色んなヤツと話しながら、練習中もこうしよう、ああしようと
戦術的なことじゃなくても、ハドルの集まったところで1コテーマを決めたりと…。」

チームがより良い方向に向かうためにコミュニケーションを取って、試行錯誤を重ねる日々の連続。春シーズン終盤
にはディフェンスで手応えを掴み始めてチームは上昇曲線に。夏合宿で王者・帝京大を撃破すると、試合に出ていない
4年生が涙を流して喜び、秋ジュニア選手権でカテゴリー1昇格を決める一戦には敵地・茨城龍ヶ崎に全部員が集結、
ノーサイドの瞬間にはAチームのメンバーが抱き合って喜びます。
シーズンが深まるに連れて急速に強くなった一体感、春先から佐藤真吾主将が目指したチームの姿がそこにありました。

一方で一人の選手としては苦しいラストイヤーに。背番号20をつけてベンチに座る時間が長くなり、殆どピッチに立って
いないにも関わらず、記者会見でコメントを求められることも。

「最初は『何でオレやねん』(喋ることなんてないよ…)と思っていましたけど…。言葉に出来ないですけど、メンバーに
選ばれない悔しさからそういう思いになっていたのだと思います。」

それでも対抗戦が始まる頃には上手く気持ちを整理できたと続けます。

「試合に出ようが出まいが、僕が練習中とか普段やることは変わらない…というマインドになれたのは大きかったと
思います。」

ポジションを確約されない中で足掻き続け、たとえ試合に出られなくてもチームをまとめようとする姿は、佐藤真吾主将
だけでなく、ほかの4年生全員にも共通して見られた姿でした。
下のチームの集大成となった準決勝前日の元旦ゲバでは、4年生全員が体を張り続けて実力上位のBチームのアタックに
食い下がり、試合を終えると今度はタックルダミーを持ってAチームメンバーにエールを送ります。

試合後、部員全体での集合の大きな輪が解けると、佐藤真吾主将は4年生だけを集めて小さな輪を作り、そして話しかけます。

「ついてきてくれてありがとう。昨日のゲバの試合とか、本当に最後まで死ぬ気で戦っている姿とかは後輩とかに伝わって
いると思うし、最後まで4年生がチームの道を作ったと思う。これからラグビーを続ける人、社会人で仕事をする人、
この悔しさ、ここで経験できたことは絶対に人生においてプラスだと思うから、これを忘れないで頑張って行こう。」

最初は「悪い意味でも仲良しクラブみたいに言われていました」(佐藤真吾主将)という今年度の4年生、ラストゲームに
スタメン出場した4年生は3人。それでも後輩達は「4年生のチーム」と口を揃えます。その先頭に立ち続けた佐藤真吾主将は
第一線でのラグビー競技人生に区切りをつけて、一般企業への就職を決めています。

「きょう試合が終わってふと感じてみると『ラグビー楽しいな』と思いましたけど、もう第一線でやることはないです。
辛いこともありましたけど、組織をマネジメントしたり、雰囲気を作ったり。何か一つでチームが変わったりとか、そういう
影響を与えられるというのは僕は楽しかったです。」

春季大会・日本体育大戦の敗北から始まり、夏合宿で王者帝京に勝利。対抗戦で帝京の壁に跳ね返されたものの早慶戦、早明戦に
連勝して対抗戦8年ぶりの優勝。大学選手権に入って、ラストワンプレーに笑い、ラストワンプレーに泣く。浮き沈みを繰り返し
ながらも成長するチームの先頭に立った一年間。

5年ぶりの年越しで見えた新たな景色を後輩達に残して、自身はまだ見えなかった頂上からの景色を求めてビジネスの世界で
新たな挑戦を始めます。【鳥越裕貴】



創部100周年のメモリアルイヤーの主将を務めた佐藤真吾選手。後悔はないかと聞かれ、複雑な心境を。
「負けたので後悔はあります。あげだしたらキリがないのですけど、ミスで終わってしまったところとか、
ディフェンスでちょっと二人目が引いてしまったりとか、メイジにもっとしつこく行くべきだったのかなとか…
ミスに対してもっと厳しくいうべきだったのかとか…考え出したらキリがないのですけど。でも、細かいことを
抜きにしたら、ここで一区切り、第一線から引くと言う心決めが今、出来ているというのは後悔がないと
いうことかもしれないです。

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