使命

25日、地元主催の上井草グラウンドでの優勝パレード・優勝報告会。パレードの最後尾を歩き、報告会では優勝メンバーと訪れたファンの交流を
遠巻きに見守っていたのが宇野明彦主務。この日の企画実現に向けて、決勝戦以降も引退した同期を横目に多忙な日々を過ごします。

「すべて(副務の)亀井に任せる事もできることはできるのですけど、それではやっぱり自分のやるべきことを果たしているとは思わないので。
自分は裏方なのでやるべき事はやっていこうと思っていましたし、これが自分の使命というかやらなければいけないことだと思いました。」

2008年度以来の優勝とあって、部内にイベントに関する資料はなく。苦労しながらイチから作り上げたイベントは大勢のファンや地元の人たちで
賑わいます。

「11年ぶりということで上井草の商店街の方も戸惑っているところもありました。その中で大変でしたけど、これだけ多くの方に来て頂けて、
やっぱり頑張ってきて良かったなと思います。」

横須賀高校から入部、1年生時には早くも対抗戦でアカクロを着てプレーするものの2年生の終わりに副務就任とともに一度はプレーヤーを引退。
それでもアカクロへの夢をあきらめきれずに3年生の冬にプレーヤー復帰、ラストイヤーは主務として、選手として、高いレベルでの両立を求め
られる多忙な生活を送ります。その様子を見ていた同期の三浦駿平選手は

「自分たちが午前と午後のセッションの間とか寝ている時間とかも、本当はあいつも昼寝したいんだろうけど仕事をしている…そういうところは
本当にすごいと思いますし、めちゃくちゃ大変だったと思うのですけど、僕達の前では弱音を吐かずにやってくれていました。」

と話します。それでも宇野明彦主務は、逆に周りの同期に支えられたと振り返ります。

「自分で決めた道。これで投げ出したら同期の信頼も失うことにもなりますし、自分が決めたことをやりきらないと。それが自分の責任であり、
日本一になるために責任を果たさないとダメだと思っていたので、ちょっとキツい時は周りをみて、同期のみんなが練習している姿とかを見て
しっかり自分も頑張らないと…とやってきました。同期の存在は大きかったですね。」

最終学年はプレーヤーとしてはアカクロジャージに届かずも、年末のジュニアチーム早明戦でゲームキャプテンとして『勝ちポジ』を体現、
決勝に挑むAチームに目指すべき道筋を示し、「『上のチームに与えた影響も少なからずあった』とそう言ってもらえた時にチーム全員でやる
意味だとかを出せたのかなと思います」。4年生としての責任をグラウンドで果たすだけでなく、選手として行動することで主務として
マネジメントする上でも大きな意味を持ったと振り返ります。

「(チームの)現状を見られることは大きいですね。チームの雰囲気とかはグラウンドで感じるものだと思うので、それをやっぱり(直接)
見られたのは大きいなと思いますね。(グラウンドに)『緊張』の文字が貼ってある時、グラウンドに出ているともう一回、身の引き締まる
思いというかそういうのはやっぱりグラウンドに出て感じるものでした。」

一方で、裏方をマネジメントする主務としては早慶戦、早明戦を迎える頃、グラウンド外で学生スタッフのミスが続いた事を悔やみます。

「単純に忘れ物とか。選手は全然ミスが起きていなかった中で、学生スタッフで(ミスが)起きている…それは自分の責任でもあり、よく
ないなと…。明治戦の時も忘れ物がありました。自分たちのサポートミス、そういうのが重なって負けた…そういうのが(結果に)直結して
いるなと…。」

そこから大学選手権までの間は宇野明彦主務にとって4年間で最も苦しい期間。主務という部の代表の一人として周囲から見られている立場、
負けたら終わりの緊張感、グラウンド外も含めてミスが許されない状況、全てがプレッシャーになって襲い掛かります。

「お腹が痛くなってきたり、体調が優れない時も結構ありました。自分はあまり感じていないつもりだったのですけどストレスやプレッシャーが
あったのかなと思います。常に見られている存在でもあるので、自分がどういう振る舞いをするかで周りの人がワセダラグビー部を判断すると
思って常に気を張っていました。また、学生スタッフ内でもミスが重なっている中で、自分が絶対ミス出来ないですし、それを厳しくも言って
きたので、しっかり自分がやって主務はちゃんとやっているな…と思われないといけない…余計に力も入っていました。」

掲げた『reborn(再生)』のスローガンのもと、チームはグラウンド内外ともに上昇気流に。準決勝・天理大戦を迎える頃には絶対的な自信が
宇野明彦主務の中に生まれます。

「自分が選手としてグラウンドに年末出ている時も落ち着いてきたというか…ジュニア早明戦、東海大戦。負けはしましたけど進化が
見られた部分がありましたし、グラウンドでそういう空気を感じていました。主務としても落ち着いて周りの皆も、緊張感がある中でミスは
なかったと思います。(スタッフの)4年生には各部署呼びかけていたので、4年生がしっかりやってくれたのかなと思います。負けるはずが
無いとこれ以上ない自信がありました。」

その思い通りに天理大戦を完勝すると勢いそのままにメイジにもしっかりとリベンジ、グラウンド内外をまとめ上げて勝ち取った『荒ぶる』を
齋藤直人主将と肩を組み、高らかに歌い上げます。

「今まで一年間気を張ってやってきたところでしっかりそれを『荒ぶる』という形で獲る事ができて、嬉しいの一言だったのですけど、
それ以上のたくさんの感動も感じていました。本当に長かったですね…自分の中では。選手を(一度)やめたことは自分の中では大きかった
ですし、すんなりいかなかったですけど、自分の中では幸せな4年間。自分のやりたいことをやらせてもらって、主務という代表的な
ポジションを任せてもらって、本当に幸せ者だと思います。同期は特にそうですけど、周りの部員のみんなに感謝したいと思います。」

一年間を副務としてサポートし、すぐそばで宇野主務を見てきた3年生・亀井亮介副務はその存在について話します。

「選手目線でもスタッフに向けて考えていたというのがありましたし、本当に選手が日本一になる為にこういう準備をしなければならないと
考えていたところは見習わなければいけないと思います。最後選手としても、ジュニア早明戦、東海戦といい試合が出来たのは宇野さんの
存在が大きかったと思います。」(亀井亮介副務)

宇野主務がプレーヤー兼任となる事で「仕事は増えましたか?」と聞くと亀井亮介副務は笑いながら首を振ります。

「宇野さんが試合に出ると、選手交替とか(の管理は)全部僕なので(練習試合)3試合立ちっぱなしとか、それくらいですね(笑)。
宇野さんは、『(プレーヤーを)やる上で迷惑かけないからやる』と、決意をしてやっているので、そういう意味では本当に周りにも気を
遣ってくれていた部分はあるかなと思います。」(亀井亮介副務)

高いレベルの両立を最後まで果たし続けて掴んだ日本一。主務という立場上、OB、スポンサー企業、ファン、地域と様々なステークホルダー
と関係を築きあげます。話を聞いている間もワセダクラブラグビースクールの子供とその父兄が写真とサインを求めに宇野主務のもとを
訪れます。

「先週の日曜日に(ラグビースクールの)練習に参加させてもらいました。ワセダクラブは一緒のグラウンドを使っていましたし、大学の
事も応援していただいています。『ぜひ練習に来て』という言葉もかけて頂いたので、4年生は今はフリーですし、応援への感謝の意味も
込めて、卒部まで数週間に分けて出られる限り出ようと4年生みんなに呼びかけています。」

ケイタイは今も2台持ち、卒部の瞬間まで使命を果たそうとする宇野明彦主務の忙しい日々は続きます。【鳥越裕貴】



決勝戦後、齋藤主将と肩を組んでの『荒ぶる』に感極まる宇野明彦主務。17日には全ての人への感謝の気持ちを込めて”主務部屋”を更新。
「自分のまっすぐな言葉を、主務をやってきた中でどれだけ多くの人に支えてもらったかというのを…どれだけ大きい組織かというのを
わかってきたので、それを感謝として、自分の思いをまっすぐ書いたのがあの主務部屋ですね。たくさんの方に見ていただけたのは嬉しい
ですし、今日直接『主務部屋、感動しました』とか声をかけて頂いたのは、今年続けるか迷っていたのですけど、やってよかったなと
思います。」

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