憧憬

10日、佐藤組追い出し試合。4年生女子部員として苦楽をともにした大竹楓トレーナーからのラストパスを受けて佐藤組ラスト
トライを決めたのが一宮沙希マネージャー。

幼い頃から両親に手を引かれて上井草グラウンドで試合会場でワセダラグビーを応援する日々。当時の部員にとって、上井草族に
とって、少女はちょっとした有名人。小学生の頃には、七夕の短冊に「ワセダラグビー部のマネージャーになる」と願いを込め、
高校時代(都立立川)はその準備としてバレー部のマネージャーを務めます。

ワセダラグビーに憧れ続けた彼女が、その夢の終わりの追い出し試合で初めて袖を通したアカクロジャージ。感想を聞くと返ってきた
言葉は意外なものでした。

「アカクロを着ることにすごく抵抗があって…。(上井草族の)皆さんも喜んで下さりますし、こういう場なので着るものなの
ですけど、やっぱりアカクロってすごく神聖なもので、選手達が本当に本当に夢見て4年間やってきているもの。軽々しく着て
しまうというのはちょっと…。」

幼い頃からアカクロを特別視していたからこそ生まれる気持ち、ただその気持ちが薄らいだ時期もあったと振り返ります。
ソフトテニス部に入った中学時代、自身の生活も忙しくなり、ワセダラグビーを観戦しに行くのも年に数回に減ると、高校時代の
バレー部も「本気の部活ではなかったので」とマネージャーの面白みを感じることが出来ず。

”このままワセダのマネージャで良いのかな…”

多感な時期に揺らぎかける思いを吹き飛ばしたのは高校2年生の冬に見た最後の国立での早明戦(2013年度、垣永組)。満員の
国立競技場、躍動するアカクロジャージ、松任谷由美さんの響き渡る歌声に気持ちが固まります。

「ユーミンの早明戦に行って、その時の並大抵じゃない感動というのは、幼い頃に感じていた感動と似ていて、その時に”荒ぶる”
とかパーッと思い返して…。部員席を見て『あっち側になりたい!観客しているだけじゃ物足りない!』と。ちょうどそこから
受験期だったので、塾の受験の目標にも『ワセダのラグビー部に入る』と書いてました(笑)。」

七夕の短冊に書き込んだ願いをもう一度書き直すと、そこから受験勉強に打ち込んで文化構想学部に見事合格、憧れのラグビー部の
門を叩きます。入ってすぐに気付いたのは自分自身の考えの甘さ、当時を振り返ります。

「ずっとファンだったので、他の人よりもこの部に対する思い入れが強いし、出来る事が多いはずと1年生の頃は自惚れ、驕って
いました。入ってみたら、皆の本気度、人生においてラグビーに懸けている度合いというのが全然違っていて…。同じくらいの
本気を持ってラグビーと向き合わなきゃいけないとそれからは完璧に学びにいく姿勢で、ワセダラグビーで学べること、私に
出来る事は小さな事でも何でもという感じで一生懸命やっていました。」

当時のマネージャーの人数が少なかったこともあり、2学年上の平賀実莉マネージャについてがむしゃらに1年間を駆け抜けます。
2年生になり、山下大悟監督が就任すると社会人経験豊富な総務スタッフが充実し、後輩のマネージャーが3人入部するなど環境が
激変します。

「やらなければいけないことに追われなくて良くなった時に『あれ?私って何をやっているんだっけ?』…。その時期に学部の
方の勉強が面白くなってしまって、留学に行きたいという思いもどんどん膨らんで、こんな大事な大学生の時に長い時間、
ラグビー部に使って、かつ自分じゃなくても出来ることもある。『何のためにいるのだろう?』とプチ挫折でした。」

更に続けます。

「大悟さんにも意見をぶつけ合って、ケンカみたいな事もして。何となくいいと思ってやっていたことを理論的に説明できなくて、
大悟さんと話していても、自分って甘かったんだな…と何度も気付かされて…。自分はまだ甘い、まだ甘いと挫折と繰り返して
いました。」

やっている事に自信を持てずに迷いや不安が頭の中をグルグルと。ある日、山下大悟前監督から言われた言葉が心に刺さります。

「去年、埜田さんや(中野)厳さんが試合に出ていたと思うのですけど、大悟さんが『あいつらはオレに選ばれる為、オレに
好かれる為にラグビーをやっているんじゃない。自分の為に自分にベクトルを向けて自分自身と戦っている。オレとか関係ないし、
そういう選手が強いんだ』と。監督の目とか気にしながらとか、色々考えながら仕事していたのですけど、それよりももっと
自分と向き合ってやることが大切なんだなと。確かにそういうふうにやっている人が結果を出していますし、大悟さんは一流の
考えを持っていたので、そういうところからすごい学ばせてもらいました。」

始めた自分自身との戦いを「哲学みたいに突き詰めた」と笑い、振り返ります。

「なぜ日本一にならなきゃいけないのか。誇りを持つとは何のためとか。自分が大切にしている人の縁とかって、何のために
必要なのかとか。すごいひたすらに考えました。」

行き詰まると必ずそばで支えてくれたのは同期の大竹楓トレーナーの存在でした。

「私の目標は何?…とかずっと聞いて、ずっと立ち返らせてくれて、本当に尊敬できる存在です。一番近い存在の人が一番尊敬
できる存在であったというのが、とにかく私にとって4年間で一番大きかったです。」

更に上級生となり、芽生える責任感や自覚も彼女の成長を後押しします。

「安住とか後輩のマネージャーも私が誘い入れた感じ、結構口説いて入ってもらった感じだったので、彼女たちがこの部で
良かったと思ってもらわなきゃいけないという責任が自分にはあると思っていました。そういう後輩が頑張ってくれて、悩んで
いたりする時に自分が強くあらないと後輩達の悩みを受け止められないですし、私が大竹に支えてもらったように、私は後輩に
とってそういう存在になれていないかもと思った時に、自分は強くあらなくちゃいけないと思いました。」

迷いと決別、自分の中に出来た確固たる軸を中心に物事が動き始めます。

「3年生になった時には、私はこの部を辞める事なんて絶対ないのだから、この部に時間を注ぐと決めたからには全力でやりきる
しかないとハッと気付いて、そこから学部の授業も楽しいけど、それはそれ、これはこれと分けられるようになりましたし、
全部が好転し始めました。」

考え方はバラバラにも関わらず「ツンツンせずにみんなで輪を作ってやる学年」という同期のスタッフにも助けられます。

「幸いにも大竹、山野君(副務)、小柴君(主務)とかは一緒に考えてくれる人で。今部活では何が問題で、自分の問題、
スタッフの問題、それぞれをどういう風に解決していったらいいのだろうね…とか、とことん考え抜くことが出来るように
なりました。4年生になって、相良さんも自由にやらせてくれたので私達が考えていたことを行動に移せるようになって、歯車が
全部グルグルと回ってこの一年間はすごい充実した一年でしたし、4年生のスタッフとして最強のスタッフチームを作れたんじゃ
ないかなと思います。」

上り下りの激しかった4年間の一番嬉しかった瞬間を聞くと「嬉しかった事も悲しかった事もすぐ忘れちゃうので(笑)」
と直近の思い出を口にします。

「12月22日の早慶戦。最後ロスタイムになってから私は試合を見れなくて、下を向きながら頑張れ、頑張れと祈っていました。
横の児玉君とか、ぶるぶる震えながら信じていて、目をつぶっていたらヨコからワセダコールが沸いてきて…。」

次の瞬間、大歓声とともに土壇場での逆転サヨナラトライ。目を開け、飛び込んできた光景が忘れられないと話します。

「皆が泣いて抱き合って、階段を下りていく時に色んなファンの方から良かったねと声をかけてもらって。ピッチの選手達も
私達に向かってこうやって(拳を突き上げて)くれた絵というのはなんだかんだ4年間で一回も見たことがなかった。上の
チームと下のチームが繋がった…私にとってはファンの方も含めて全部が繋がった感覚が出来て、その瞬間というのが本当に
幸せだったなと思います。」

劇的勝利がもたらした年越しもまた大切な思い出。

「1月1日、当たり前のように皆が休んでいる時間にラグビーが出来て、初詣に行って、ワセダラグビーの事を願えて…。
幸せな時間だったなと思います。」

嬉しそうに話しながらも「でも、ここで幸せを感じているくらいだから甘いのかもしれないですけど(苦笑)」と
『荒ぶる』を逃した悔しさが顔を覗かせます。

「ワセダのラグビーは『荒ぶる』あってこそと思います。あの感動って、全部を正解にするというか応援してくれる人にも
恩返しにもなるし、それが出来なかったのが…自分が『荒ぶる』を歌えなかったと言うより、皆に『荒ぶる』を歌って
もらえなかった…そこに自分が貢献できなかったというのが結局悔しくて…後悔まみれの4年間ですね。私がワセダを復活
させるみたいな使命感を持って入ったのに、自分の事に揺さぶられまくって、部活の為に新しい価値の提供とかあまり
出来なかったのが心残りです。それが最後までアカクロを着ていいのかみたいなところに繋がっていて…。」

ファンの時代からレプリカとは言えアカクロは簡単に着てはいけないものと幼心の中で位置付けて一度も着たことのなかった
アカクロジャージを「後ろめたさを感じながら着ちゃいました」。『荒ぶる』を求めて、最後の最後まで足掻き、戦い続けた
のは選手だけではなく、スタッフも同じ。一宮沙希マネージャの独走トライに観客席、部員から送られた拍手、最初で最後の
アカクロジャージ姿が決して恥ずべきものではない事を幼少の頃から見守り続けてきた上井草族、そして仲間たちは知っています。
【鳥越裕貴】



一年生のタックル(?)を次々とかわしてインゴールに向かう一宮沙希マネージャ。卒業後に描く人間像も彼女らしく。
「自分と関わった人にいい影響を与えられる大人になりたいなとすごい思っています。何かを成し遂げたいと言うよりも
色んな人のバックストーリーとか、いろんな人の違いとかを受け止めて、噛み砕いて、包み込めるようになりたい。
私はワセダラグビーを通してでしか大学生活を見てきていなく、視野が狭いと思っていて自分が無知なことで人を傷つける
こともあるんだろうなとか…。もっと勉強したいですし、いろんな世界を見てもっと寛大な心を持って生きていきたいです。
色んな生き方をしてどの人にとっても自分と接したことで生きやすくなったと感じてもらえるような人にこれからなるのが
人生を通しての次の目標です。」

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