奇跡

3月20日、チーム長田のラストゲームとなったオール石川戦。35-31で迎えた後半ラストプレー、ボールを確保したオール早稲田はタッチに蹴り出せば勝利が確定するシーンで、最後の一秒まで試合を楽しむかのようにボールを繋ぎます。この試合大車輪の活躍を見せていた4年生FB河瀬亮介選手が仕掛けながらラストパス、4年生WTB米田圭佑選手がディフェンスともつれながらも粘って右隅に飛び込みます。21年度シーズンを締めくくるラストトライに米田選手を中心に4年生の歓喜の輪が生まれます。

「いいタイミングで河瀬からパスが来て、取り切れてよかったです。自分の強みは取るべきところで取るところだったり、体の強さだったので現役を
離れてもそこが発揮できて良かったです。」

石見智翠館高校から入部、1年生時はジュニアチームで試合経験を重ねると2年生の春、セブンズシリーズのメンバーに選ばれてアピールの場を得ます。東日本大学セブンズでスピード感溢れるプレーで秩父宮を駆け回るも、この大会で前十字靭帯断裂の大怪我、長いリハビリ生活に入ります。復帰は1年後の3年生の夏、巻き返しを図ろうと練習に打ち込む米田選手でしたが再び悲劇に見舞われます。

「調子が上がらなくて再検査したら(前十字靭帯が)切れていました…。」

大怪我からようやく復帰した矢先の再発、再手術…「苦しかった」という時期を支えたのは家族、先輩、後輩、そして同期の存在でした。

「僕が2回目の手術をするとなった時にいち早く電話をかけてくれたのは原朋輝と佐々木奎介でした。その時、(同じ)前十字をやっていたやつらが電話してきて、それは印象に残っています。あいつらも自分のケガで困っていたのに『一緒に頑張ろうか』…と。励ましの言葉をかけてもらいました。」

再びのリハビリ生活を乗り越えて4年生の夏合宿で復帰、Eチームの練習試合(東洋大戦)で途中出場でピッチインすると部員席から大歓声、復活の独走トライをあげると全部員がスタンディングオーベーション、中には涙を流して自分の事のように喜ぶ4年生の姿も。

「試合が終わった後に聞いたら、森谷(主務)が泣いていたと…。いまの4年生の同期はいいやつらばかりで仲間に恵まれましたし、嬉しかったですね。」

10月にはCチームの慶応戦でサヨナラトライを記録するなど勝負強さを見せて、11月のジュニア選手権・帝京大戦でも活躍、Bチームまで昇格し、ラストチャンスにかけて最後の追い込みという時期に今度は肉離れで戦線離脱。

「(肉離れを)やった瞬間、『シーズン終わっちゃったな…』と。」

すぐに言葉を続けます。

「だけど、やっぱりそれでもあきらめずにやり続けて復帰したという経験があったので、自分でやれるところまでやってみようとチームに貢献できるように頑張りました。」

結局、肉離れの再発もあり最後の練習も怪我人のまま大学生活を終えることに…。12月の大学選手権から3カ月、ケガに苦しみ続けた米田選手にとって石川遠征は最後にもう一度、仲間たちとラグビーを楽しむ時間、そして憧れ続けたアカクロジャージに袖を通す貴重な時間に。仲間との最後の時間を共有し、改めて周囲への感謝を口にします。

「リハビリは一人での戦いと言われていますけど、僕一人ではやっぱりできなかったこと。トレーナーだったり励ましてくれる同期、励ましてくれる家族がいたからこそリハビリでも頑張ってこれました。決して一人ではできなかったことですね、今日のトライとかもそうですし。」

公式ホームページに掲載されている座右の銘は「臥薪嘗胆」。2度の前十字靭帯断裂、2度の肉離れ、シーズン中の復帰は叶わないと頭の中では分かりながらもそれでもファイティングポーズを失わずに戦い抜いた米田圭佑選手。5年ぶりに行われたオール早稲田の試合、例年であればなかったはずのラストゲームのラストプレーで仲間たちが繋いだボールが最後に米田選手のもとへ。真剣勝負の中で生まれた小さな奇跡は、米田選手にとって4年生にとって、きっと一生語り継がれる思い出話となるはずです。【鳥越裕貴】



後半、タックルに捕まりながらもラストトライをあげるWTB米田圭佑選手。社会人生活に向けて「苦しんだ経験も今振り返ったらよかったなと思えます。社会人になった時にあの経験があったからこそ頑張れる…と思える時があるかもしれない…いや、あってほしいですね。口下手なので、言葉よりも行動で示して信頼される人間になりたいです。」

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